Wednesday, May 03, 2006

ファービアン

星数多あるブログで突出しようなどとは全く思っちゃいない。いないが、書いていく内容についてちょっと考えました。周辺雑記でいくか?旅行紀行でいくか?もっと高みを目指し生齧り哲学考でいくか?

そこでエーリッヒ・ケストナーの大人のための小説「ファービアン」の書評を思い出しました。ケストナーは1899年にドイツのドレスデンに生まれた作家で、子供向けの小説の方が有名かもしれません。私の城には、過去12年間に買い集めた本が約10畳(くらいなのかな?)のワンルームアパートに溢れていて正確な資料がすぐでて来ないのですが、記憶の許す限りで書くと、ケストナーがイギリスの王族(多分エリザベス女王のような気がするが)に謁見した時、「私は『エーミールと探偵たち』を2回読みました。一度は英語で、二度目はドイツ語で!」といわれたエピソードもあるくらいです。

「本を焼くものは次に人間を焼くだろう」とはトーマス・マンの言葉ですが、ケストナーもナチスによる焚書事件で著作を焼かれた作家の一人です。ベルリンのウンター・デン・リンデン通りの広場で自分の本が焼かれている時、野次馬に混じって見ていたってんだから落語の「粗忽長屋」でもありえない状況さね。野次馬の一人が気づき「ケストナーがいるぞー」といわれて走って逃げてきたのだとか。第二次世界大戦中も他の作家や有名人が亡命するのを尻目にドイツを離れなかったつわものです。終戦のちょっと前やけのやんぱちのヒトラーから冥途の土産がわりに暗殺命令が出されていたいきさつは「ケストナーの終戦日記」に詳しく書かれています。

で、肝心の「ファービアン」なのですが、ドイツの先輩作家ヘルマン・ヘッセが大絶賛し、ヘッセ自身からお褒めのお手紙をもらったそうな。当時の書評か後の書評で(すんませんな、なんせ「ファービアン」が手元にないもので、とほほ)「ベルリンの雑踏と混乱を、小市民の悩みを超近視眼的に描いているにもかかわらず、普遍的な美しさがある」みたいなのを頂戴したとか。ケストナーは近視眼的に書く癖があるのか、自分が少年時代を過ごした失われた街ドレスデンをノスタルジーたっぷりに書いた「わたしが子供だったころ」にも、角の公設食堂でソーセージが8プェニヒだの、家は6階だったの、髪結いの母さんの請求額がいくらだったのと、その時代にタイムスリップできるくらい大変詳しく書いてあります。

結論としてわたしが言いたかった事は、そーだ私の日常雑記も書きようによっちゃー普遍的になりうるのかと。まあ、ケストナーと比べうることもできませんし、近視眼的に書くにしても視点・距離感も難しいし、悩めるとこではあります。

我が敬愛する友人諸兄よ、そんなこんなで私が今後周辺雑記を書く事があっても許してくれるかい?

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