
ドレスデン中心部衛星写真(Google マップから)
左上部の空色の屋根はヨーロッパ屈指のオペラハウスの一つ、ザンパーオペラ。
左下の四角い広場のようになっているのはザクセン選帝候(選帝候とは、神聖ローマ帝国皇帝を決める際の選挙で、選挙権を持つ王のこと)の居城であったが、現在は美術館となっている。
中央の楕円形の空色の屋根はザクセン選帝候とその家族のみが使用したカソリック教会であったが、現在は博物館(多分。もしかしたら未だ教会かも。ガイドブックがないので{出でこないので}この点が不明。教会の場合、勿論今は市民に開放されている)。
中央から右下に伸びている赤い壁の側面には歴代のザクセン王の壁画が飾られている。
右上部に茶色く見えるのがエルベ川。この衛星写真では確認する事はできないが、ドレスデン中心部の歴史的建造物(全て戦後に再建された、理由は後に述べる)は全て黒く煤けて見える。公害のせいなどではなく、エルベ川上流の石切場から採掘してきた石は鉄分が多く、時間がたつと酸化して黒くなるのである。
エルベ川の川沿いは散歩道となっており、北側対岸の川沿いにはドレスデン市とザクセン州の官庁が見晴らせる。散歩道を写真に写っている橋の角から写真右(東)へ100mも歩けば南側に再建された聖母教会の白いドームが見えてくる。
第二次世界大戦末期、1945年2月13日-14日(ヨーロッパ戦線は5月に終結している。日本の終戦は8月まで待たねばならない)に米英連合軍の壊滅的な空襲を受け市街地はほぼ壊滅した。終戦後、いくつかの歴史的建造物は旧東ドイツ政府により再建された。
1945年2月のドレスデン大空襲に関しては、空襲時、ドレスデンに米兵として駐留していたドイツ系アメリカ人作家のカート・ヴォネガット・ジュニアが終戦後「スローターハウス5」を書き、アメリカで ベストセラーとなった。枢軸国の一つを祖先に持ち、まさにその祖国に敵国兵として駐留し、さらに米英連合軍によって爆撃にあうという、複雑な思いをSFという虚構に託して書いた作品。
ちなみにケストナーはドレスデン大空襲時には、ベルリンにおり空襲には遭遇していない。ケストナーは母の無事を確認するため焼け野原のドレスデンに赴き、母に再会する。ケストナー暗殺指令が出ていることを 知ったケストナーは、母をドレスデンに残し、この後終戦までチロル地方にドイツ軍のプロパガンタ映画の脚本家に扮して留まっている。
ドレスデン再建に話を戻すが、最後まで再建が待たれていた聖母教会は2005年秋に叙階式が行われた。東西ドイツ統合の象徴として歴史に名を残すことになるであろう。
ドレスデン市外地とエルベ川流域はその歴史的景観によって世界遺産に登録されている。再建されているのであるから同じ理由で登録されている他の世界遺産よりは建造物自体の歴史が浅いのは否めないが、破壊したのが人類であり、再建したのも人類であるとすれば、ドレスデンの歴史そのものが世界遺産といってもよいだろう。その意味で他にも指定されるべき都市があるのではないか?我が敬愛する友人諸兄よ、貴兄の意見はいかに?
(前回ドレスデン出身の作家ケストナーについて書き、「ドレスデン」という単語の場所に、衛星写真と上記の注釈をワード形式にしてリンクを貼ろうと試みたのですが、どうしてもできませんでした。リンクは写真と他のサイトしかできないようです。よく考えればワードを添付するなら、リンクせずに本文に書けばいいというこでしょうな。そんなこんなで注釈のつもりで書いた文章ゆえ、です・ます等の丁寧語は使っていませんが、ご了承のほどを。)
No comments:
Post a Comment