現在のトルコという国がオスマン帝国という国だった頃のお話。
オスマン帝国の中庸期にスレイマン1世という皇帝がおりました。自ら陣頭指揮を執って何度も遠征に赴きました。彼の後宮には1,000人もの妻妾がおりましたが、中でももっとも愛したのはウクライナから奴隷として送られてきたヒュッレムという女性でした。
トルコ語もできなかった彼女にトルコ語を教え、結果彼女はもともとの才能もあったのでしょうが詩作も始めました。
スレイマン1世は遠征先から彼女にラブレターを送りました。詩を送ったのです。うろ覚えですが、こんな感じです。
太陽が昇ると星は消える
月が輝くと星も又輝く
スレイマン1世が自分を星に喩え月をヒュッレムに喩えたのです。愛する者の前では自分も数多くある星の一つに過ぎないということでしょう。
皇帝でさえ愛する者の前では小さな星になってしまう。親愛なる友人諸兄よ、普通の私達ならきっと愛する人の前ではだんご虫くらいの存在と感じるかもしれないですね。そしてたまに小さな存在になるのもいいかも知れないですね。
Friday, June 29, 2007
Thursday, June 28, 2007
人間の価値
私の友人で体を壊している人がいて、結構落ち込んでいるようです。治療前は知り合いの会社の手伝いなどをしていたらしいのですが、今年に入り3回も手術したりして、お金もあまりないらしいのです。そんな友人を励ます為にメールを書いたのですが、返事は来てません。読んでくれたかどうかも判りませんが、これを読んでいる友人諸兄にも似た様な状況の人がいるかもしれないので、固有名詞以外ほぼそのまま転載します。
かっちゃんへ
入院されていたそうで、お見舞いにも行けずにすみませんでした。
私の母が12月に肩を骨折してしまい、気持ちが落ち着かずかっちゃんのお見舞いにも行けませんでした。
体には気をつけて下さいよ。私はよくお金を貯める本を買って読むのですが、こんな事が書いていました。
年8%で運用できる預金や投資信託があれば(今の日本ではありえないですが、世界は広い!)、そこから元本を崩さずに月に例えば200,000円(あくまで例えば)利息が欲しければ、その200,000円の150倍貯金すればいいそうです。この例では30,000,000円ですね。
30,000,000円x8%=2,400,000円(年間の利息)
2,400,000円/12ヶ月=200,000円(月間の利息)
この考えをちょっと変えれば、もし月30万円給料をもらっている人がいれば、その人はただ健康で働くだけで45,000,000円の投資物件を持ってるって事になるよね。あくまで投資物件だから、その人の人間としての価値はその何百倍もあるけどね。
かっちゃんの投資物件=体を大事にして下さい。人は皆自分が思っている以上の価値があるのです。
以上の理論を英語「生きてるだけいいやんけ」って言います。<-英語ちゃうやん。
matilda
親愛なる友人諸兄、あなたの価値はいくらですか?今は価値がなくてもいいんだよ。生きてるだけでいいんだよ。
かっちゃんへ
入院されていたそうで、お見舞いにも行けずにすみませんでした。
私の母が12月に肩を骨折してしまい、気持ちが落ち着かずかっちゃんのお見舞いにも行けませんでした。
体には気をつけて下さいよ。私はよくお金を貯める本を買って読むのですが、こんな事が書いていました。
年8%で運用できる預金や投資信託があれば(今の日本ではありえないですが、世界は広い!)、そこから元本を崩さずに月に例えば200,000円(あくまで例えば)利息が欲しければ、その200,000円の150倍貯金すればいいそうです。この例では30,000,000円ですね。
30,000,000円x8%=2,400,000円(年間の利息)
2,400,000円/12ヶ月=200,000円(月間の利息)
この考えをちょっと変えれば、もし月30万円給料をもらっている人がいれば、その人はただ健康で働くだけで45,000,000円の投資物件を持ってるって事になるよね。あくまで投資物件だから、その人の人間としての価値はその何百倍もあるけどね。
かっちゃんの投資物件=体を大事にして下さい。人は皆自分が思っている以上の価値があるのです。
以上の理論を英語「生きてるだけいいやんけ」って言います。<-英語ちゃうやん。
matilda
親愛なる友人諸兄、あなたの価値はいくらですか?今は価値がなくてもいいんだよ。生きてるだけでいいんだよ。
Saturday, July 29, 2006
久しぶりのブログ更新
更新を怠っていたら、数人の当ブログファンから督促を受けてしまいました。ファンがいてくれたなんて、うっうっ、自分でも驚きなのですが。てゆうか、皆友人ですけど…
5月始めに発作的にブログを立ち上げ、当初は1日1回の更新では物足りないぐらい書きたい事もあり、文章・デザインの微調整等に励んでいたのですが、その間仕事が全く手につかず、これじぁいけないと更新を止めた後も1週間ほど疲れで寝込んでしまいました。5月の第1週と第2週ほとんど何の仕事もせずに過ごしたら、びっくりするほど仕事が溜り、気持ちの余裕を取り戻すまでに、そして遅れた仕事に追いつくまでに、なんと今までかかってしまいました。世の中で毎日ブログを更新している人もたくさんいて、そんな人達はすごいなあと感服する事しきりです。
海に囲まれたちょっと小高い丘の上に、ホテルがあって、東向きと西向きの窓がある。部屋にいながら好きな人と一緒に水平線に沈む夕日と水平線に昇る朝日を一緒に見る。勿論同じ日に。ビールでも飲みながら夕日を見て、夜の間ずっと子供の頃の楽しかったこととか、悲しかったこととか話し合って、いつのまにか夜が明けてくる。もう寝なきゃね、なんて言いながらうとうとしちゃったり。
「ギリシャのアテネにね、プラカ地区ってのがあって、小さな古い教会のそばにネフェリ(Nefelh)って喫茶店があるの。片思いの人ができる度にね、心の中で一緒に行ってみたんだよ。その喫茶店で一緒に何か飲んでる光景がしっくり想像できる人とね、つきあいたいなって思ってたの。今度一緒に行きたいね、聞いてるの?」なんてどうでもいい話をしたりね。
その日は午後から町に出ていこう。一緒に道に迷ってみたいな。歩いても歩いても、角を曲がっても曲がっても、足も疲れて、お腹も空いてきたけど、どうしても見知った街角に出て来ない。どこでもいいからって小さなお店に入ったら料理がすごくおいしかったりして。「又、明日来ようね」っ約束したけど、次の日はもう行き道を探せなかったり。そのおいしかった思い出だけがずっと二人の心に残ったり。
未だ道に迷ってるんだな、これが。あの曲がり角曲がっても帰り道が判らなかったらどうしようって、二人とも思ってるところで道を曲がったら、目の前にどーんって太陽が沈んでいる。感動を言葉にすると空疎になるのが怖くて、何も言えない、言わない。
敬愛する友人諸兄よ、こんな旅がしてみたいという私は底無しのロマンチストですか?諸兄には理想の或いは夢の旅はありますか?
5月始めに発作的にブログを立ち上げ、当初は1日1回の更新では物足りないぐらい書きたい事もあり、文章・デザインの微調整等に励んでいたのですが、その間仕事が全く手につかず、これじぁいけないと更新を止めた後も1週間ほど疲れで寝込んでしまいました。5月の第1週と第2週ほとんど何の仕事もせずに過ごしたら、びっくりするほど仕事が溜り、気持ちの余裕を取り戻すまでに、そして遅れた仕事に追いつくまでに、なんと今までかかってしまいました。世の中で毎日ブログを更新している人もたくさんいて、そんな人達はすごいなあと感服する事しきりです。
海に囲まれたちょっと小高い丘の上に、ホテルがあって、東向きと西向きの窓がある。部屋にいながら好きな人と一緒に水平線に沈む夕日と水平線に昇る朝日を一緒に見る。勿論同じ日に。ビールでも飲みながら夕日を見て、夜の間ずっと子供の頃の楽しかったこととか、悲しかったこととか話し合って、いつのまにか夜が明けてくる。もう寝なきゃね、なんて言いながらうとうとしちゃったり。
「ギリシャのアテネにね、プラカ地区ってのがあって、小さな古い教会のそばにネフェリ(Nefelh)って喫茶店があるの。片思いの人ができる度にね、心の中で一緒に行ってみたんだよ。その喫茶店で一緒に何か飲んでる光景がしっくり想像できる人とね、つきあいたいなって思ってたの。今度一緒に行きたいね、聞いてるの?」なんてどうでもいい話をしたりね。
その日は午後から町に出ていこう。一緒に道に迷ってみたいな。歩いても歩いても、角を曲がっても曲がっても、足も疲れて、お腹も空いてきたけど、どうしても見知った街角に出て来ない。どこでもいいからって小さなお店に入ったら料理がすごくおいしかったりして。「又、明日来ようね」っ約束したけど、次の日はもう行き道を探せなかったり。そのおいしかった思い出だけがずっと二人の心に残ったり。
未だ道に迷ってるんだな、これが。あの曲がり角曲がっても帰り道が判らなかったらどうしようって、二人とも思ってるところで道を曲がったら、目の前にどーんって太陽が沈んでいる。感動を言葉にすると空疎になるのが怖くて、何も言えない、言わない。
敬愛する友人諸兄よ、こんな旅がしてみたいという私は底無しのロマンチストですか?諸兄には理想の或いは夢の旅はありますか?
Friday, May 05, 2006
ドレスデン街歩き

ドレスデン中心部衛星写真(Google マップから)
左上部の空色の屋根はヨーロッパ屈指のオペラハウスの一つ、ザンパーオペラ。
左下の四角い広場のようになっているのはザクセン選帝候(選帝候とは、神聖ローマ帝国皇帝を決める際の選挙で、選挙権を持つ王のこと)の居城であったが、現在は美術館となっている。
中央の楕円形の空色の屋根はザクセン選帝候とその家族のみが使用したカソリック教会であったが、現在は博物館(多分。もしかしたら未だ教会かも。ガイドブックがないので{出でこないので}この点が不明。教会の場合、勿論今は市民に開放されている)。
中央から右下に伸びている赤い壁の側面には歴代のザクセン王の壁画が飾られている。
右上部に茶色く見えるのがエルベ川。この衛星写真では確認する事はできないが、ドレスデン中心部の歴史的建造物(全て戦後に再建された、理由は後に述べる)は全て黒く煤けて見える。公害のせいなどではなく、エルベ川上流の石切場から採掘してきた石は鉄分が多く、時間がたつと酸化して黒くなるのである。
エルベ川の川沿いは散歩道となっており、北側対岸の川沿いにはドレスデン市とザクセン州の官庁が見晴らせる。散歩道を写真に写っている橋の角から写真右(東)へ100mも歩けば南側に再建された聖母教会の白いドームが見えてくる。
第二次世界大戦末期、1945年2月13日-14日(ヨーロッパ戦線は5月に終結している。日本の終戦は8月まで待たねばならない)に米英連合軍の壊滅的な空襲を受け市街地はほぼ壊滅した。終戦後、いくつかの歴史的建造物は旧東ドイツ政府により再建された。
1945年2月のドレスデン大空襲に関しては、空襲時、ドレスデンに米兵として駐留していたドイツ系アメリカ人作家のカート・ヴォネガット・ジュニアが終戦後「スローターハウス5」を書き、アメリカで ベストセラーとなった。枢軸国の一つを祖先に持ち、まさにその祖国に敵国兵として駐留し、さらに米英連合軍によって爆撃にあうという、複雑な思いをSFという虚構に託して書いた作品。
ちなみにケストナーはドレスデン大空襲時には、ベルリンにおり空襲には遭遇していない。ケストナーは母の無事を確認するため焼け野原のドレスデンに赴き、母に再会する。ケストナー暗殺指令が出ていることを 知ったケストナーは、母をドレスデンに残し、この後終戦までチロル地方にドイツ軍のプロパガンタ映画の脚本家に扮して留まっている。
ドレスデン再建に話を戻すが、最後まで再建が待たれていた聖母教会は2005年秋に叙階式が行われた。東西ドイツ統合の象徴として歴史に名を残すことになるであろう。
ドレスデン市外地とエルベ川流域はその歴史的景観によって世界遺産に登録されている。再建されているのであるから同じ理由で登録されている他の世界遺産よりは建造物自体の歴史が浅いのは否めないが、破壊したのが人類であり、再建したのも人類であるとすれば、ドレスデンの歴史そのものが世界遺産といってもよいだろう。その意味で他にも指定されるべき都市があるのではないか?我が敬愛する友人諸兄よ、貴兄の意見はいかに?
(前回ドレスデン出身の作家ケストナーについて書き、「ドレスデン」という単語の場所に、衛星写真と上記の注釈をワード形式にしてリンクを貼ろうと試みたのですが、どうしてもできませんでした。リンクは写真と他のサイトしかできないようです。よく考えればワードを添付するなら、リンクせずに本文に書けばいいというこでしょうな。そんなこんなで注釈のつもりで書いた文章ゆえ、です・ます等の丁寧語は使っていませんが、ご了承のほどを。)
Wednesday, May 03, 2006
ファービアン
星数多あるブログで突出しようなどとは全く思っちゃいない。いないが、書いていく内容についてちょっと考えました。周辺雑記でいくか?旅行紀行でいくか?もっと高みを目指し生齧り哲学考でいくか?
そこでエーリッヒ・ケストナーの大人のための小説「ファービアン」の書評を思い出しました。ケストナーは1899年にドイツのドレスデンに生まれた作家で、子供向けの小説の方が有名かもしれません。私の城には、過去12年間に買い集めた本が約10畳(くらいなのかな?)のワンルームアパートに溢れていて正確な資料がすぐでて来ないのですが、記憶の許す限りで書くと、ケストナーがイギリスの王族(多分エリザベス女王のような気がするが)に謁見した時、「私は『エーミールと探偵たち』を2回読みました。一度は英語で、二度目はドイツ語で!」といわれたエピソードもあるくらいです。
「本を焼くものは次に人間を焼くだろう」とはトーマス・マンの言葉ですが、ケストナーもナチスによる焚書事件で著作を焼かれた作家の一人です。ベルリンのウンター・デン・リンデン通りの広場で自分の本が焼かれている時、野次馬に混じって見ていたってんだから落語の「粗忽長屋」でもありえない状況さね。野次馬の一人が気づき「ケストナーがいるぞー」といわれて走って逃げてきたのだとか。第二次世界大戦中も他の作家や有名人が亡命するのを尻目にドイツを離れなかったつわものです。終戦のちょっと前やけのやんぱちのヒトラーから冥途の土産がわりに暗殺命令が出されていたいきさつは「ケストナーの終戦日記」に詳しく書かれています。
で、肝心の「ファービアン」なのですが、ドイツの先輩作家ヘルマン・ヘッセが大絶賛し、ヘッセ自身からお褒めのお手紙をもらったそうな。当時の書評か後の書評で(すんませんな、なんせ「ファービアン」が手元にないもので、とほほ)「ベルリンの雑踏と混乱を、小市民の悩みを超近視眼的に描いているにもかかわらず、普遍的な美しさがある」みたいなのを頂戴したとか。ケストナーは近視眼的に書く癖があるのか、自分が少年時代を過ごした失われた街ドレスデンをノスタルジーたっぷりに書いた「わたしが子供だったころ」にも、角の公設食堂でソーセージが8プェニヒだの、家は6階だったの、髪結いの母さんの請求額がいくらだったのと、その時代にタイムスリップできるくらい大変詳しく書いてあります。
結論としてわたしが言いたかった事は、そーだ私の日常雑記も書きようによっちゃー普遍的になりうるのかと。まあ、ケストナーと比べうることもできませんし、近視眼的に書くにしても視点・距離感も難しいし、悩めるとこではあります。
我が敬愛する友人諸兄よ、そんなこんなで私が今後周辺雑記を書く事があっても許してくれるかい?
そこでエーリッヒ・ケストナーの大人のための小説「ファービアン」の書評を思い出しました。ケストナーは1899年にドイツのドレスデンに生まれた作家で、子供向けの小説の方が有名かもしれません。私の城には、過去12年間に買い集めた本が約10畳(くらいなのかな?)のワンルームアパートに溢れていて正確な資料がすぐでて来ないのですが、記憶の許す限りで書くと、ケストナーがイギリスの王族(多分エリザベス女王のような気がするが)に謁見した時、「私は『エーミールと探偵たち』を2回読みました。一度は英語で、二度目はドイツ語で!」といわれたエピソードもあるくらいです。
「本を焼くものは次に人間を焼くだろう」とはトーマス・マンの言葉ですが、ケストナーもナチスによる焚書事件で著作を焼かれた作家の一人です。ベルリンのウンター・デン・リンデン通りの広場で自分の本が焼かれている時、野次馬に混じって見ていたってんだから落語の「粗忽長屋」でもありえない状況さね。野次馬の一人が気づき「ケストナーがいるぞー」といわれて走って逃げてきたのだとか。第二次世界大戦中も他の作家や有名人が亡命するのを尻目にドイツを離れなかったつわものです。終戦のちょっと前やけのやんぱちのヒトラーから冥途の土産がわりに暗殺命令が出されていたいきさつは「ケストナーの終戦日記」に詳しく書かれています。
で、肝心の「ファービアン」なのですが、ドイツの先輩作家ヘルマン・ヘッセが大絶賛し、ヘッセ自身からお褒めのお手紙をもらったそうな。当時の書評か後の書評で(すんませんな、なんせ「ファービアン」が手元にないもので、とほほ)「ベルリンの雑踏と混乱を、小市民の悩みを超近視眼的に描いているにもかかわらず、普遍的な美しさがある」みたいなのを頂戴したとか。ケストナーは近視眼的に書く癖があるのか、自分が少年時代を過ごした失われた街ドレスデンをノスタルジーたっぷりに書いた「わたしが子供だったころ」にも、角の公設食堂でソーセージが8プェニヒだの、家は6階だったの、髪結いの母さんの請求額がいくらだったのと、その時代にタイムスリップできるくらい大変詳しく書いてあります。
結論としてわたしが言いたかった事は、そーだ私の日常雑記も書きようによっちゃー普遍的になりうるのかと。まあ、ケストナーと比べうることもできませんし、近視眼的に書くにしても視点・距離感も難しいし、悩めるとこではあります。
我が敬愛する友人諸兄よ、そんなこんなで私が今後周辺雑記を書く事があっても許してくれるかい?
巨大なおにぎりと空の米びつ
表題が「一休さん」の週替りの題名みたいですな。「鎌倉将軍と虎屏風」来週も又見てね、みたいな。
二人の女性の話を書きます。一人は私の16年来の友人。一人は唯の知り合い。
日本に住んでいるその友人と数年前電話で話をしていたのですが、テレビ番組で松任谷由美が視聴者から応募された川柳を読む番組があったそうな。
ちなみに川柳と俳句の違い判りますか?どちらも五七五なのですが、川柳には季語がなく人間の心の機微を面白しろおかしく詠ったもの。「居候三杯目にはそっとだし」なんてのが、川柳です。俳句は五七五の中に必ず季語を入れて詠むもの。「起きてみつ寝てみつ蚊帳の広さかな」。この場合「蚊帳」が季語となっていまして、この俳句の意味は「蚊帳の中なんてものは、狭苦しいものだと思っていたけど、いざあの人がいなくなると、寝苦しい夏の夜、何度も目が覚めるにつけ、広々と感じるわぁ」ってな感じの意味でしょうな。これが俳句です。閑話休題。って、このブログ自体閑話だらけか?
で、松任谷由美が選んだ川柳にこんな感じのがあったとさ。「ともだちが不幸になったちょっと幸せ」みたいなのね。このまんまじゃないですよ。なにせ数年前の話だし、だけど意味としてはこれで当らずとも遠からず。そこで私の友人が言ったのです、すごーくよく判ると。彼女はまあ宇宙のどこかに巨大な幸福のおにぎりがあって、皆でそれを分け合って食べてるいるんだみたいな幸福・不幸観をもっているのかな。いくら巨大でも物質ならばいつかはなくなる。しかし、しかーしですよ、友達が幸せになっても、それで自分の分の幸せが減るわけじゃなし、不幸になってくれたらその分自分の不幸を食べてくれたわけじゃなし(こっちは巨大な不幸のおにぎりね)。優越感と幸福感は一緒には語れないですよ。
もう一人の唯の知り合いの女性の話。ただただもうもの凄く自己中心的な人でしたが、ここで悪口を書く気はありません。数年前に数週間振り回されただけですし、私も心の整理がだいぶとついたので。で、その彼女がおっしゃったのには、彼氏欲しいねと。欲しいすねって答えると、すかさず「私の場合は昔すごく男に幸せにしてもらったので、もう幸せ使い果たしちゃった」と。彼氏がいないって事を素直に認めず、幸せにしてもらう分量使い果たしちゃっただけよということですね。つまり生まれ持っていた時の幸せの大きな米櫃がもう空か、空に近いってことですかね。私の友人の幸福・不幸観との違いは、彼女は一人一人おにぎり作るための米櫃持っていると思っているとこですな。ここにも誰とも何も分けあえない彼女の悲しさがあるのですが。
さてさて、二人に共通しているのは、幸福物質論・幸福定量論なんですね。いずれにしても外にある。巨大おにぎりの大きさはどのくらいでどいつがどのくらい食べれるって誰が決めたのですか?米櫃の大きさはどのくらいで中にどのくらい詰まっているって誰が決めたのですか?神様ですか?米屋のおっさんですか?自分ですか?
敬愛する友人諸兄よ、幸せの分量を誰かに決めてもらいますか?それとも心の中にありますか?
二人の女性の話を書きます。一人は私の16年来の友人。一人は唯の知り合い。
日本に住んでいるその友人と数年前電話で話をしていたのですが、テレビ番組で松任谷由美が視聴者から応募された川柳を読む番組があったそうな。
ちなみに川柳と俳句の違い判りますか?どちらも五七五なのですが、川柳には季語がなく人間の心の機微を面白しろおかしく詠ったもの。「居候三杯目にはそっとだし」なんてのが、川柳です。俳句は五七五の中に必ず季語を入れて詠むもの。「起きてみつ寝てみつ蚊帳の広さかな」。この場合「蚊帳」が季語となっていまして、この俳句の意味は「蚊帳の中なんてものは、狭苦しいものだと思っていたけど、いざあの人がいなくなると、寝苦しい夏の夜、何度も目が覚めるにつけ、広々と感じるわぁ」ってな感じの意味でしょうな。これが俳句です。閑話休題。って、このブログ自体閑話だらけか?
で、松任谷由美が選んだ川柳にこんな感じのがあったとさ。「ともだちが不幸になったちょっと幸せ」みたいなのね。このまんまじゃないですよ。なにせ数年前の話だし、だけど意味としてはこれで当らずとも遠からず。そこで私の友人が言ったのです、すごーくよく判ると。彼女はまあ宇宙のどこかに巨大な幸福のおにぎりがあって、皆でそれを分け合って食べてるいるんだみたいな幸福・不幸観をもっているのかな。いくら巨大でも物質ならばいつかはなくなる。しかし、しかーしですよ、友達が幸せになっても、それで自分の分の幸せが減るわけじゃなし、不幸になってくれたらその分自分の不幸を食べてくれたわけじゃなし(こっちは巨大な不幸のおにぎりね)。優越感と幸福感は一緒には語れないですよ。
もう一人の唯の知り合いの女性の話。ただただもうもの凄く自己中心的な人でしたが、ここで悪口を書く気はありません。数年前に数週間振り回されただけですし、私も心の整理がだいぶとついたので。で、その彼女がおっしゃったのには、彼氏欲しいねと。欲しいすねって答えると、すかさず「私の場合は昔すごく男に幸せにしてもらったので、もう幸せ使い果たしちゃった」と。彼氏がいないって事を素直に認めず、幸せにしてもらう分量使い果たしちゃっただけよということですね。つまり生まれ持っていた時の幸せの大きな米櫃がもう空か、空に近いってことですかね。私の友人の幸福・不幸観との違いは、彼女は一人一人おにぎり作るための米櫃持っていると思っているとこですな。ここにも誰とも何も分けあえない彼女の悲しさがあるのですが。
さてさて、二人に共通しているのは、幸福物質論・幸福定量論なんですね。いずれにしても外にある。巨大おにぎりの大きさはどのくらいでどいつがどのくらい食べれるって誰が決めたのですか?米櫃の大きさはどのくらいで中にどのくらい詰まっているって誰が決めたのですか?神様ですか?米屋のおっさんですか?自分ですか?
敬愛する友人諸兄よ、幸せの分量を誰かに決めてもらいますか?それとも心の中にありますか?
Monday, May 01, 2006
Carpe diem
ちょっとした会社をやっているのですが、会社の宣伝用のサイトの下書きを書いているうちに仕事とは全く関係のない事で書きたい事柄がどんどん出てきてしまって、発作的にこのブログを立ち上げてしまいました。
あまりに発作的だったので、ハンドルネームとブログの題名には困っちゃいました。で、(でっ、て何が「で」なんだか分かりませんが)ブログの題名の「Carpe Diem」の説明をチラッとします。私の携帯電話のオープニングメッセージにしている詩句です。このブログにどうやって辿りついて頂いたかは、分かりませんが、若しCarpe diemと言う詩句を検索して辿りついて下さった方は当然ご存知ですね。唯、私の個人的な友人諸兄で無理矢理読まされている(そこのあなた、あなたですよ、昨日一緒に飲んだよね、ひひひ)の中でご存知ない方もいらっしゃるかも知れませんので、老婆心ながらご解説。
Carpe diemは「今日をつかめ(なぜなら明日は存在しないかもしれないから)」みたいな意味のラテン語です。http://www.kitashirakawa.jp/~taro/lit2.htmlに詳しい説明と全訳がありますので、ご興味がある方は是非ご覧下さい。なぜここに転載しないかと言うとあえてしません。詩人のホラーティウスと言う人の詩の中の言葉で、この詩人の著作権はとっくに切れているのですが、上記サイトの翻訳はかなりこなれていまして、翻訳者のご苦労もありますし、実際サイトを訪ねて頂ければちょっとした学をつんで頂ける一助にもなろうかと思っています。
この詩が書かれた頃は、科学も発達してないわけですから、明日本当に世界が終わるとか信じていたのでしょうね。医学も進歩してないし、今なら軽い怪我や病気でもすぐ死んじゃう時代です。経済も発達してないし、何か必要なものがあると戦争して奪いとってこなきゃいけないから、いつ兵隊にとられて死ぬか分からない時代です。将来の事を心配して鬱々、汲々としていて楽しまない友人にいや人類に捧げられた詩だと解釈しています。間違っていたらご指摘下さい。
ラテン語つながりでふっと、ある修道士の話を思い出しました。何かの本に書いてあったのですが、塩野七生先生だったような、そうじゃないような。その辺は家捜しし、載ってそうな本をななめ読みして、この話が出てきたら出典を書きますので、しばしお待ちを。どんな話かというと、修道院で後に非常に有名になる修道士が草抜きをしていたのです。他の修道士がからかい半分で、一時間後世界が終わるとしたら何をするのさって質問したのですね。草抜きしていた修道士答えて曰く「草を抜いているさ」。
周りから見てつまらない事だったのにその修道士は大変満足し、幸福な気持ちで草抜きをやっていたんです。
明日世界がなくなるとしたら、今何をしていたいですか?それを今やっていますか?今やれていないとすれば妨げている理由は何ですか?妨げている理由を解決する為に何か始めましたか?私の敬愛する友人諸兄よ、4つの質問をしましたが、どこで答えが出なくなっちゃいましたか?
私自身も答えを模索中です。少なくともCarpe diem。今日一日の花を摘みとろうともがいています。
あまりに発作的だったので、ハンドルネームとブログの題名には困っちゃいました。で、(でっ、て何が「で」なんだか分かりませんが)ブログの題名の「Carpe Diem」の説明をチラッとします。私の携帯電話のオープニングメッセージにしている詩句です。このブログにどうやって辿りついて頂いたかは、分かりませんが、若しCarpe diemと言う詩句を検索して辿りついて下さった方は当然ご存知ですね。唯、私の個人的な友人諸兄で無理矢理読まされている(そこのあなた、あなたですよ、昨日一緒に飲んだよね、ひひひ)の中でご存知ない方もいらっしゃるかも知れませんので、老婆心ながらご解説。
Carpe diemは「今日をつかめ(なぜなら明日は存在しないかもしれないから)」みたいな意味のラテン語です。http://www.kitashirakawa.jp/~taro/lit2.htmlに詳しい説明と全訳がありますので、ご興味がある方は是非ご覧下さい。なぜここに転載しないかと言うとあえてしません。詩人のホラーティウスと言う人の詩の中の言葉で、この詩人の著作権はとっくに切れているのですが、上記サイトの翻訳はかなりこなれていまして、翻訳者のご苦労もありますし、実際サイトを訪ねて頂ければちょっとした学をつんで頂ける一助にもなろうかと思っています。
この詩が書かれた頃は、科学も発達してないわけですから、明日本当に世界が終わるとか信じていたのでしょうね。医学も進歩してないし、今なら軽い怪我や病気でもすぐ死んじゃう時代です。経済も発達してないし、何か必要なものがあると戦争して奪いとってこなきゃいけないから、いつ兵隊にとられて死ぬか分からない時代です。将来の事を心配して鬱々、汲々としていて楽しまない友人にいや人類に捧げられた詩だと解釈しています。間違っていたらご指摘下さい。
ラテン語つながりでふっと、ある修道士の話を思い出しました。何かの本に書いてあったのですが、塩野七生先生だったような、そうじゃないような。その辺は家捜しし、載ってそうな本をななめ読みして、この話が出てきたら出典を書きますので、しばしお待ちを。どんな話かというと、修道院で後に非常に有名になる修道士が草抜きをしていたのです。他の修道士がからかい半分で、一時間後世界が終わるとしたら何をするのさって質問したのですね。草抜きしていた修道士答えて曰く「草を抜いているさ」。
周りから見てつまらない事だったのにその修道士は大変満足し、幸福な気持ちで草抜きをやっていたんです。
明日世界がなくなるとしたら、今何をしていたいですか?それを今やっていますか?今やれていないとすれば妨げている理由は何ですか?妨げている理由を解決する為に何か始めましたか?私の敬愛する友人諸兄よ、4つの質問をしましたが、どこで答えが出なくなっちゃいましたか?
私自身も答えを模索中です。少なくともCarpe diem。今日一日の花を摘みとろうともがいています。
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